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城塞都市 鎌倉

城塞都市 鎌倉

なぜ鎌倉の地が選ばれ、その後武家の都として権力を維持できたのか? そこには源頼朝と北条氏による計算された要塞化構想があった!

著者 北条氏研究会
ジャンル 新書 > 歴史新書
シリーズ 歴史
歴史 > 歴史新書
出版年月日 2018/02/05
ISBN 9784800314192
判型・ページ数 新書・192ページ
定価 本体950円+税
  • 内容紹介
  • 目次

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鎌倉といえば、多くの寺社が残る観光都市「古都」という印象が強いが、
鎌倉は、武士によってつくられた最初の都市であり、南を海に面し、
それ以外の三方を山によって囲まれた天然の要害の地に築かれた城塞都市という機能も有していた。
源頼朝はこの地を武家の都とし、その後、北条氏が防衛術を駆使して城塞化させていったのである。
武家の都鎌倉が「城塞」といわれるようになったのか、最新研究からその謎に迫る。

一章  古代の鎌倉はどうだった?

◇地形が変化していく鎌倉
歴史時代以前の鎌倉の地形
弥生時代中期以降の地形は
◇鎌倉にはどのような人たちがいたのか
弥生時代中期以降に鎌倉にいた人々
神奈川県内の古墳と鎌倉
鎌倉郡と鎌倉郷が置かれていた  
鎌倉に郡衙跡が発見された  
出土した木簡からわかったこと
◇鎌倉を通っていた古代の道
ヤマトタケル伝説から見た古東海道  
鎌倉に海側の道と内陸の 道があった?

二章  源頼朝が入る前の鎌倉
◇平安時代末期頃の鎌倉の地形
港湾機能も持っていた鎌倉  
現在よりも東にあった滑川の流域  
現在よりも内陸にあった海岸線  
ラグーンが港湾機能を果たしていた
◇桓武平氏の一族が関東の武士団に
上総に下向した高望王から始まった武家平氏  
鎌倉に根付いた権五郎 の子孫たち
◇平氏に替わって源氏が鎌倉を掌握
八幡神を氏神とした源氏  
源義朝の源氏勢力再編成
◇源義朝は相模武士を家人としていく
源義朝の大庭御厨乱入事件
クローズアップ「鎌倉」 
鎌倉時代の武士の城館とは

三章  源頼朝が造った鎌倉
◇源頼朝時代の鎌倉の地形と領域
人が住むところではなかった鎌倉の地形  
都市鎌倉の領域はどこまでか
◇源頼朝が鎌倉を「武家の都」に選んだ理由
源頼朝が打倒平氏を掲げて挙兵  
なぜ頼朝は、武家政権の拠点に鎌倉を選んだのだろうか
大倉幕府を中心とした町並みを造成  
御家人 たちはどこに屋敷を構えていたのか
◇鎌倉に通じる「いざ鎌倉」の道
反幕府の後鳥羽上皇が起こした承久の乱  
承久の乱の戦没者供養で戦後処理  
戦後の御所造営  
唯一頼朝の血を継ぐ竹御所と将軍頼経の結婚
当時の武士の道理を編纂した御成敗式目
新造された若宮大 路御所
鎌倉の領域の拡大
山内道の整備  
六浦道の整備
◇北条氏一族の屋敷を鎌倉の出口内外に配置する
北条一族の鎌倉盤踞  
名越流北条氏  
極楽寺流北条氏  
常盤流北#条氏  
佐介流北条氏  
大仏流北条氏
クローズアップ「鎌倉」 鎌倉七口とは

五章  陥落した鎌倉城
◇元の侵攻と朝廷の内紛で崩壊に向かう鎌倉幕府
元の来襲で窮地に陥った鎌倉幕府  
幕府崩壊に向かわせる二つの皇統
◇幕府の基盤である得宗分国武蔵国での敗戦
幕府に虐げられた新田義貞の挙兵  
幕府軍は緒戦で躓いていた  
小手指原で両軍が激突  
分倍河原の戦いで新田軍は敗戦  
幕府方が敗れた分倍・関戸河原の戦い
◇鎌倉城の陥落
三方面から鎌倉攻めが始まった  
洲崎および巨福呂坂の戦いで赤橋守時が自刃  
化粧坂の戦い  
極楽寺坂・稲村ヶ崎の戦い  
稲村ヶ崎から鎌倉に攻め込む新田義貞  
「遠干潟」出現はあったのか  
鎌倉幕 府の滅亡
◇要塞都市だった鎌倉
天然の地勢を利用した鎌倉城

六章  その後の鎌倉
◇鎌倉公方足利氏の鎌倉
鎌倉将軍府の成立から鎌倉府の成立  
鎌倉府と鎌倉  
関東の戦国時代の始まり  
足利義氏の鎌倉帰還
◇観光地化された江戸時代の鎌倉
観光都市に向かう鎌倉  
くまなく鎌倉を観光した水戸光圀  
前田綱 紀は家臣に鎌倉の図書探索をさせる

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